karamoriと<物語>シリーズ映像作品

物語シリーズ映像化作品について、ただなんとなく。ツイッター感覚の雑多な感想です。「だから、で?そんな事知ってるけど・・・」という内容でも平気で書きます。

化物語1話、直江津高校大文化祭ポスター

タイトルの通り、劇中では主人公達の通う県立直江津高校の文化祭ポスターが登場する。

もちろん原作でなくシャフトの演出・表現なのだろうが、文字に起こしてみよう。

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直江津高等学校大文化祭

SINCE1868

物巷に満ち溢れ、やれ文化の祭りだいや文の化祭りだのと百家争鳴の相を見せておりますが、殊これぞ文化祭と太鼓判をつくならば、直江津高校大文化祭において他無しと申せましょう。

歴史を紐解けば明治元年、西洋暦にして1868年に開校せし直江津高校は、開校当初より新進の気風に溢れ、教員は皆、日本国の明日を担う若者を育成せんとの使命に燃え、学び舎に集いし学徒は皆一様に向上の意欲に眼光爛々、学業を修め、心身鍛錬をして、明日の今日より良きものとする礎石足らんと、日々切磋琢磨を重ねておりました。開校当時の教員学徒一丸となった自立と革新は、そのまヽ直江津高校の校風と相成りまして、その発露結実として生徒会の指導の下に、全校を挙げて開催せし、この直江津高校大文化祭は、生徒の乱痴気騒ぎを称してぶんかさいと呼ぶ物や、看守の如き教諭様の御指導の下、一糸乱れぬ統制と与えられたお題目の発表するぶんかさいとか称するますげーむとは、訳が違います。

 

例えますならば、学術の先端を窮(きわ)めたる大学であり、芸術の精髄のみをを(←誤植)蒐集した美術館であり、天上の音楽を奏でる音楽堂であり、若人が友情と愛とで熱中し、活気溢れる祭典でもあり、それらすべての神髄醍醐味を、一時に、かつ充分に堪能満喫出来得るのが、この世にただひとつ、直江津高校大文化祭○○○以下不明

 

渡り廊下より眺める中庭

掃き清められ、塵ひとつ無い通路

活気溢るる学内

裏口

 

 

謎めいた歯車

徘徊する妖怪

出入り口

出入り口

お化け屋敷に集う人々

 

我に直江津高校大文化祭を、さもなくば死を。 (パトリック・ヘンリー)

平和を欲するなら、直江津高校大文化祭を、理解せよ。 (リデル・ハート

じゃ、また。いずれ直江津高校大文化祭で会えるんだから。 (マーク・トエイン)

直江津高校大文化祭は、希望の別名にほかならない。 (チャールズ・ヘーア)

翼よ、あれが直江津高校大文化祭だ。 (リンドバーグ

天才とは、99%の汗と、1%の直江津高校大文化祭だ。 (エジソン

人間至る所、直江津高校大文化祭あり。 (月性)

全てが失われたとしても、まだ直江津高校大文化祭が残っている。 (ボヴィー)

人生には、どうしても必要なことが三つある。それは夢と、浪漫と、直○○○以下不明

 

掲示される裏献立

洒脱な店内

茶店にて珈琲を嗜む人々

 

責任編集=●×○○○×●○○×

 

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暦物語羽川翼が「だけどね、直江津高校ってまだ歴史が深いとは言えないから、そういう怪談みたいなのは全然形成されてなくって」と話していたし、他にもどこかで同じようなセリフがあった気がしたが、そのあたりにはあまり考慮せずにポスターひとつを作品として美術を担当されたどなたかが文章を考えた際に、やはり文明開化やらラヂオ、テレビジョンのキャスターの独特の話し方をイメージしただろうし、その際の演出としての昔の言い回しや旧漢字との兼ね合いでガッコウの歴史を拡大したのであろう。カッコがつくしね。一貫性も出るし